みなさん、こんにちは。
今回は初詣に三峰神社に行った時の様子と
妙法ケ岳と霧藻ヶ岳へ登った時の様子です。
5時間11分、10.8キロの道のりです。
三峰神社は、埼玉県秩父市にある神社で、日本武尊が創建したと伝えられています。境内には、博物館や植物園もあり、散策も楽しめます. また、三峰山の標高約1100mのところに鎮座しており、秩父三社の一社であることから、多くの参拝者で賑わっています。
それではいってみましょう!
三峯神社の公式サイトによると、三峰山博物館では、三峰山の自然や歴史に関する展示が行われています。三峯神社は、美しい拝殿が特徴的で、権現造りの拝殿が建立されたのは、寛政12年(1800年)のことです。また、境内には、風格のある随身門や珍しい三ツ鳥居もあります。三峯神社は、秩父観光の名所の一つであり、多くの観光客に愛されています。
三峰神社は、日本武尊が景行天皇41年に当山に登り、伊弉諾命・伊弉冉命を祀り創始したと伝えられています. 三峰神社の公式サイトによると、景行天皇は東国行幸の際に登拝して三峰宮と命名したといいます. また、社伝によれば、役小角が三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられています. 三峰神社は、秩父三社の一社であり、秩父観光の名所の一つです.
秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社です。。拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居があります。狼を守護神とし、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座しています。
社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したといわれています。景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝えられています。伊豆大島に流罪になった役小角が、三峰山で修業をし、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられています。
三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえます。熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を「雲取山」と呼んでいます。
中世以降、日光系の修験道場となって、関東各地の武将の崇敬を受けました。養和元年(1182年)に、秩父を治めていた畠山重忠が願文を収めたところ霊験があったとして、建久6年(1195年)に東は薄郷(現・小鹿野町両神あたり)から西は甲斐と隔てる山までの土地を寄進して守護不入の地として以来、東国武士の信仰を集めて大いに栄えました。しかし正平7年(1352年)、足利氏を討つために挙兵し敗れた新田義興・義宗らが当山に身を潜めたことより、足利氏により社領が奪われて衰退しました。
文亀年間(1501年-1504年)に修験者の月観道満がこの廃寺を知り、30数年勧説を続けて天文2年(1533年)に堂舍を再興させ、山主の龍栄が京都の聖護院に窮状を訴えて「大権現」を賜った。以後は聖護院派天台修験の関東総本山とされて隆盛しました。本堂を「観音院高雲寺」と称し、「三峯大権現」と呼ばれました。以来、歴代の山主は花山院家の養子となり、寺の僧正になるのを常例としたため、花山院家の紋所の「菖蒲菱を寺の定紋としました。
江戸時代には、秩父の山中に棲息する狼を、猪などから農作物を守る眷族・神使とし「お犬さま」として崇めるようになりました。さらに、この狼が盗戝や災難から守る神と解釈されるようになり、当社から狼の護符を受けること(御眷属信仰)が流行りました。修験者たちが当社の神得を説いて回り、当社に参詣するための講(三峯講)が関東・東北等を中心として信州など各地に組織されました。
伊奈忠福(伊奈氏はもともと関東郡代の一族だったが家督争いから一旦名跡取り上げとなり、その後秩父郡の小普請となった)の代に、土地山林を寺に寄進し、広く村人に信仰を勧め栄えたが、明治の神仏分離により寺院を廃して「三峯神社」に改称しました。明治16年(1883年)に近代社格制度において県社に列しました。明治中期には、社務所に600人が泊まれる施設があり、客のための料理や酒も自家製で賄っていたといわれています。大正末期に秩父宮が参拝したことをきっかけに信徒が全国的に増え、講社数が増大しました。
昭和14年(1939年)には、麓から参道に沿って三峰ロープウェイが山頂まで敷設されました(2007年廃止)。平成16年(2004年)に社殿を修復しました。
三峰山の上に「龍洞」という深い井戸があります。龍神が住むと言い伝えられ、水分神がまつられている。この水を当社にて飲むことができます。特に大寒に汲まれた水は「寒の水」といわれ、貴重なものとされています。
奥宮は妙法ケ岳(標高1329m)の山頂に鎮座しています。本社からは東南東へ1時間ほど山道を登る必要があります。
山頂には小さな祠とともに秩父宮登山記念碑があります。また、登山道の途中には両部鳥居があります。
三峰信仰の中心をなしているものに、御眷属(山犬)信仰があります。 この信仰については、「社記」に享保12年9月13日の夜、日光法印が山上の庵室に静座していると、山中どことも知れず狼が群がり来て境内に充ちた。法印は、これを神託と感じて猪鹿・火盗除けとして山犬の神札を貸し出したところ霊験があったとされます。
また、幸田露伴は、三峰の神使は、大神すなわち狼であり、月々19日に、小豆飯と清酒を本社から八丁ほど離れた所に備え置く、と登山の折の記録に記しています。
眷属(山犬)は1疋で50戸まで守護すると言われています。文化14年12月14日に各地に貸し出された眷属が4000疋となり、山犬信仰の広まりを祝う式があり、また文政8年12月2日には、5000疋となり同様の祝儀が行われています。
明治後期の文献と思われる「御眷属拝借心得書」には、御眷属を受け、家へ帰られたならば、早速仮宮へ祀られ注連縄を張り、御神酒・洗米を土器に盛り献饌し、不潔の者の立ち入らぬようにされたいとあります。
「摂末社」は、主神を祀る主社以外の、その他の神々を祀る小さな神社や祠を指す用語です。これらの神社や祠は、主神とは別に特定の神や霊、神聖な存在を祀るために設けられることがあります。
日本の神社では、主神を祀る本社の他にも、さまざまな形態や規模の末社や分社が存在します。これらは地域の伝統や信仰、歴史的な背景に基づいて設けられ、それぞれ異なる神や霊を祀っています。
摂末社が存在する理由はいくつか考えられます。一つは、地域ごとに異なる神や霊が祀られ、その土地独自の信仰や伝統を守るためです。また、特定の神社での儀式や祭りの際に、その祭りに関連する神々を祀るために設けられることもあります。
摂末社はしばしば主神を祀る本社の周辺に設けられ、境内全体が複数の神や霊に捧げられています。これにより、地域社会や信仰者たちが様々な神々との交流を感じ、神聖な場所としての役割を果たします。
各神社や祠に祀られる神や霊は、地域や神社によって異なります。例えば、自然の神や地元の歴史的な人物、神話上の存在などが祀られることがあります。これらの摂末社も地域の文化や伝統の一部として、地元の人々にとって重要な存在となっています。
御仮屋(大口真神)
祖霊社(開山以来の歴史の祖霊、勤山者、氏子総代又各地の三峯講社関係者や講元、世話人)
国常立神社(国常立尊・瓊瓊杵尊・神倭岩余彦尊)
日本武神社(日本武尊)
伊勢神宮(天照皇大御神・豊受姫大神)
月讀神社(月夜見命)
猿田彦神社(猿田彦命・天宇受賣命)
塞神社(八衢彦神・八衢姫神・久那斗神)
鎮火神社(火産靈命・水速女命・埴山姫命)
厳島神社(市杵嶋姫命)、杵築神社(大国主命・事代主命)
琴平神社(大物主命・崇徳天皇)
屋船神社(屋船豊受姫命)
稲荷神社(宇迦御靈命)
浅間神社(木花開耶姫命)
菅原神社(菅原道眞)
諏訪神社(武御名方命)
金鑽神社(天照皇大御神・素盞嗚神・日本武命)
安房神社(天太玉神)
御井神社(水速女命)
祓戸神社(瀬織津姫命・速開都姫命・氣吹戸主命・速佐須良姫命)
東照宮(徳川家康)
春日神社(武甕槌命・天兒屋根命・齋主命・比賣神)
八幡宮(誉田別命・息長帶姫命・比賣神)
秩父神社(八意思兼命・知知夫彦神)
大山祇神社(大山祇命)
二ツ宮(大山祇命)
さて、初詣も終わったので登山へと向かいましょう。
本日の目的地は妙法ケ岳と霧藻ヶ岳です。
妙法ケ岳は、日本の埼玉県と長野県の境に位置する標高2,057メートルの山で、主に長野県に属しています。以下に、妙法ケ岳に関連する主な情報を提供します。
地理と位置:
妙法ケ岳は、中央アルプスに属し、長野県の南部と埼玉県秩父地方との境界に位置しています。山頂からは周囲の山々や自然景観を一望でき、美しい登山コースが存在します。
登山とハイキング:
妙法ケ岳は登山者やハイカーにとって人気のある目的地で、美しい自然環境や季節ごとの風景が楽しめます。登山道はいくつかのコースが整備されており、初心者から経験者までさまざまなレベルの登山者が訪れます。
自然と生態系:
山岳地帯であり、妙法ケ岳周辺には豊かな自然が広がっています。標高の変化に伴って植生も変わり、標高帯ごとに異なる植物や動物が生息しています。登山中には四季折々の美しい風景を楽しむことができます。
関連する宗教的・文化的な要素:
一部の山岳地域には、歴史的な背景や宗教的な信仰が結びついていることがあります。妙法ケ岳もその一例で、周辺には神社や仏教寺院が点在している可能性があります。
アウトドアアクティビティ:
妙法ケ岳周辺では、登山やハイキング以外にもキャンプや観光など、アウトドアアクティビティが楽しめるスポットが存在します。四季折々の美しい風景や季節ごとの自然の変化を楽しむことができます。
アクセス:
妙法ケ岳へのアクセスは、主に登山口によって異なります。周辺には登山口やアクティビティを提供する施設があり、公共交通機関や車を利用してアクセスすることができます。
妙法ケ岳は、その美しい自然環境とアウトドアアクティビティの豊富さから、登山者や自然愛好者にとって魅力的な場所となっています。登山やハイキングを通じて、訪れる人々は自然との調和を感じることができるでしょう。
妙法ケ岳は、中央アルプスに位置し、その美しい自然環境やアクティビティの豊富さから、多くの登山者やアウトドア愛好者に親しまれています。以下は、妙法ケ岳に関する詳細な情報です。
標高と地理:
妙法ケ岳の標高は約2,057メートルで、中央アルプスのなかでも比較的高い山の一つです。
長野県と埼玉県の境に位置し、特に長野県に属しています。
登山コース:
妙法ケ岳にはいくつかの登山コースが存在し、その中でも代表的なものに「秩父山系縦走路」があります。このコースを通じて、登山者は妙法ケ岳を含む周辺の山々を巡ることができます。
登山道は季節によって変化し、春は新緑、夏は青々とした景色、秋は紅葉が楽しめます。
自然環境:
妙法ケ岳周辺は、高山植物や標高帯ごとの変化に富んだ植生が広がります。特に登山の途中で出会う植物や風景は、訪れる人々に感動を与えることでしょう。
登山の途中で野生動物に出会うこともあり、鳥やシカ、時折アルプス地方ならではの動物たちを観察できます。
歴史と宗教:
山岳信仰の一環として、妙法ケ岳周辺には神社や仏教寺院が点在していることがあります。これらの宗教的な施設は、登山者や参拝者にとって心の安らぎを提供しています。
四季折々の魅力:
妙法ケ岳周辺は四季折々の美しい風景が楽しめます。春には新緑、夏には青々とした山々、秋には紅葉が見られます。冬には雪景色が広がり、冬山登山が楽しめることもあります。
アクセスと周辺施設:
妙法ケ岳へのアクセスは、主に登山口によって異なります。公共交通機関や自家用車を利用してアクセスすることが可能です。
登山口周辺には、登山者向けの宿泊施設や食事処、観光スポットが存在し、アウトドア活動をサポートする施設が整備されています。
妙法ケ岳は、その壮大な景観や自然環境、歴史的な背景などから、四季折々の魅力を持つ山岳地帯として多くの人々に親しまれています。訪れる際には、天候や登山計画を確認し、安全にアウトドアを楽しむよう心掛けましょう。
霧藻ヶ岳は、埼玉県秩父市にある標高1523.1メートルの山です。奥秩父の山域に属し、黒岩山や燕岩とも呼ばれています。霧藻ヶ岳の名前は、1933年に登山に訪れた秩父宮雍仁親王が、霧の中に揺れるサルオガセ(霧藻)を見て付けたと言われています。三峯神社の近くにあり、秩父宮夫妻のレリーフが見られます。霧藻ヶ岳からは、白岩山や妙法ヶ岳などの奥秩父の山々が眺められます。霧藻ヶ岳は、秩父の自然や歴史を感じることができる山です。
今日のお昼はぜんざいです。
この日は気温がとても低く、手足が冷え切っていたので温まってよかったです。
さて、みなさんはお汁粉とぜんざいの違いをご存じでしょうか?
お汁粉とぜんざいは、日本の伝統的な甘味料理であり、主に和菓子やデザートとして楽しまれています。それぞれの特徴や違いについて説明します。
お汁粉:
お汁粉は、主にあずきを使った甘い汁物で、一般的には小豆の煮汁に砂糖や塩を加えて甘く仕上げられます。
小豆の他にも、栗や白玉団子、きな粉などがトッピングとして使われることがあります。
地域や季節によっても異なるバリエーションがあり、寒い季節には温かいお汁粉が、夏には冷たいお汁粉が提供されることもあります。
お正月や節句(特にひな祭り)など、様々な行事や季節の節目に食べられることが一般的です。
ぜんざい:
ぜんざいも、基本的には小豆を使用した和風のデザートですが、お汁粉とは異なるアプローチがあります。
小豆だけでなく、もち米や餅、野菜(さつまいもなど)などを加えて、より具体的な具材が使われることがあります。
ぜんざいは、砂糖やみりんで甘く味付けされ、仕上げにはきな粉や白玉団子、みたらし団子などがトッピングとして添えられることがあります。
寒い季節には温かいぜんざいが、夏には冷たいぜんざいが楽しまれます。
どちらも日本の伝統的なスイーツであり、季節や地域によって異なるバリエーションが楽しめる点が魅力です。これらの和菓子は、日本の行事やイベント、季節感を感じながら楽しむことができます。
お腹いっぱいになったので、下山して行きましょう。
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それでは次の登山動画で会いましょう。